自然栽培の田んぼは、
除草剤を使わないため、
機械や手作業で雑草を取ります。
その話を、実家の父にしたら、
面白い昔話が飛び出しました。
************
講師のプロフィールはコチラ
※毎日の晩ご飯メニューとワンポイントアドバイスを配信中
メルマガ登録はコチラで「お気に入り登録」お願いします。
※最新の料理教室の日程はコチラ
※毎日のお弁当の写真はコチラ♪
※料理教室のLINE@始めました!
************
美味しく食べて体質改善!
食と命のシステムを最大限に活かす料理術、
つぶつぶ雑穀料理を青森県弘前市で伝えています。
雑穀と野菜で作る家庭料理教室
たきさんちの高杉多希です。
訪問してくれてありがとうございます。
機械が出来たとはいえ、
稲と稲の間は手作業。
津軽弁でいう所の、
「こまって」する仕事なので、
(かがんで。背中を丸めて。と言った意味)
1時間だけで「ふーっ!」と大きな息をつきました。
そんな話を実家でしたところ、
父も昔やったことがあるよ、とのこと。
昭和18年生まれの父が小学生の時。
米を作ってる友達の家に、
2~3人の友達と遊びに行って、
雑草取りの手伝いをしたんだとか。
弘前市富田といえば、
現在は田んぼがあったことなど全然想像も出来ませんが、
地名からも分かる通り、
昔は田んぼがあったそうです。
弘高下の駅の近く、土淵川沿いに、
田んぼが広がっていたとか。
(住所的には、現在の富士見町や寒沢町ですね。
でも、みんなザックリ「富田」と呼んだりします。
駅の東側は全部「城東」と呼ぶのと同じようなものです。)
※「東京紅団~太宰治を巡って」というホームページで、
大正9年の地図が載っていました。
確かに、寒沢町が全部田んぼのマークです!
手伝いに行くのは、決まって貧乏な子ども。
父も例に漏れず、です。
なんといっても、手伝いに行くと、
お昼ご飯をごちそうになり、
おやつが食べられて、
帰りには50円ももらえたとか。
今の50円の価値とは全然違いますね。
駄菓子屋さんで、
5円で何個も飴玉が入った袋が買えたので、
まずはそれを買って、
口に入れながら、
50円分の買い物をしたそう。
きっとニヤニヤが止まらなかったでしょうね。
金額的にも、今の10倍以上の価値だったのでは。
だとしても、500円。
一日働いて、500円…まぁ、食事込ですけど…
農家的にも美味しかったのでは。
でも、子どもがした仕事なので、
ちゃんと役に立ったのかは、
今となっては分かりませんね。
大人になって分かりますけど、
子どもが一生懸命手伝っても、
大人のように出来てないんだなぁってこと、
たくさんありますものね。
しかし、雑草取りは、
例え小学生でも大変な仕事。
ずっとやっていると、
さすがに腰が痛くなった、と言います。
けれど、お腹いっぱい食べるため。
お小遣いのため。
「田んぼの泥の中を歩くだけでも疲れるもんだよな」
「昔は市内にも、農耕馬がいっぱい居たんだよ」
「サラブレッドじゃなくて、ばん馬みたいな」
今の弘前市からは想像しにくいですが、
町中を馬車も通っていて、
馬が家の前で通りがかりに糞をすると、
その家の人が、塵取りみたいので拾って、
乾かして燃料にしていたとか。
全てが逞し過ぎて、恐れ入ります。
今日の晩ご飯↓
<<次の記事<< >>前の記事>>
コメントをお書きください