年末に父にインタビューをした時に、
面白い話を聞きました。
今は「太宰治まなびの家」
として展示されている旧藤田家に、
昭和20年代に遊びに行ったエピソードです。
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こんにちは!髙杉多希です。
雑穀と野菜で作る家庭料理教室 たきさんちを開催したり、
月に一度の雑穀カフェWasamodoraを開催したり、
畑で雑穀や野菜を育てたりしています。
訪問してくれてありがとうございます。
2020年末に、
弘前の昔の写真を見ながら、
父にインタビューをしようとしたら、
父の昔話で2時間話し込んでしまい、
まずはそれをエピソードごとに、
10個に分けてアップしてきました。
体が弱い小学生からの大逆転劇。
薄っぺらいゴムの紐靴って、
全然想像できません。
陸上部での思い出。
保育園児の甥と一緒に通学した中学三年間。
土淵川で涼んだり、湧き水で洗濯をした話。
銭湯は週に一度だった話。
中学校卒業後に上京して、うどん屋さんで働いた話。
この話で、神奈川県横浜市の魚屋さんに、父の従兄がいるということが分かり、
現在、横浜に住んでいる姉と、キャッキャしました。
父が好きな自衛隊に居た頃の話。
自衛隊を辞めて、弘前に帰ってきてからの話。
そして、今回が、
旧藤田家に遊びに行ったエピソードです。
うちの父はめっちゃ貧乏生活だったそうなので、
藤田家に遊びに行った時に、
バナナやビスケットを始めて食べたとか。
女中さんも居る、すごく大きなお屋敷だったんですって。
私が記憶にある時は、
すでに草ボーボーで、盛者必衰…とか思ってましたが、
そんな栄えて時代に、実際に出入りした人が、
目の前にいたことに驚きでした。
太宰治の作品は、
学校で「走れメロス」を読んだくらいですが、
むしろ藤田家をもっと知りたくなりました。
そして、父にもっといろんな昔話を聞きたいな、と思っています。
今日の晩ご飯↓
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