今日はお彼岸の中日。
じいさん、ばあさんとの話を色々と思い出します。
その中でも、やっぱり私は食べものの話題を多く覚えてる気がします。
特に、小さい頃や若い頃の話は、
唸るようなことが多いです。
こんにちは!髙杉多希です。
訪問してくれてありがとうございます。
雑穀と野菜で作る家庭料理教室 たきさんちを主宰したり、
畑で雑穀や野菜を育てたりして、
Instagramで情報発信をしたりしています。
「たきちゃん」「たきさん」と名前で呼んでください♪
彼岸の中日なので、お寺とお墓に行ってきました。
父方の祖母は、戦時中の妊娠で食べるものが無くて、
卵の殻を粉にして溶いて飲んだ…とか。
(ちなみに、貧乏過ぎて、中身は食べてない)
戦後は寡婦になり、日雇いの土方なんかをやってたらしい。
母方の祖母は、農家の出で、
料理が苦手だけど、漬け物だけは上手だそうで、
奥に長い土間にズラッと樽を並べてたそう。
建て替えた家にも、車庫のようなスペースいっぱいに、
どれが何か分からないくらい漬け物樽があった。
夫の父方の祖母は、農家の出なので米は食べれたらしいけど、
正月のおかずは煮しめくらい。今のような食事なんてなかった。
夫の母方の実家は、秋田の山奥で、ほぼ自給自足に近い生活。
味噌も手作り。山菜やキノコが豊富で、水がキレイ。
牛も居たけれど、育てて売るだけで、食べてた訳ではない。
「今の若い人は、味噌汁飲まねかろ?
あんた、味噌汁に漬物も好きだなんてエライなぁ」
とおばあちゃんの作ってくれたご飯を食べるたびに言われた。
それに引き換え、私の子どもの頃は…と振り返ると、
朝は食パンにジャム、目玉焼き、バナナ、ヨーグルト、牛乳。
昼は給食で、パンだったり麵だったり。
夜は母手作りのおかずたっぷりの食卓。
すごく美味しくて幸せだったし後悔はしてないけれど、
冷え性、鼻炎、顔のほてり、肌の乾燥、胃腸過敏、下痢…
じいさんばあさんの方が、絶対元気。
子供会の遠足で、家から駅までと、
平賀駅からアップルランドまでを歩いただけで、
具合が悪くなったのを覚えてる。弱っ。
今でも夫の母方の祖父の言葉が耳に残ってる。
「ソ連で捕虜になった時、町で育った奴から死んでいった。」
これからの時代を生き抜いていくのには、
現代食をやめて、日本伝統の食材を活かす食術。
そして、土に触れる生活。
それができるのが、未来食。しかも美味しい。
受け継いできたものを、次につなげたいな。
これからの時代を力強く生き抜いていきたい人は、
ぜひ体験レッスンにお越しください。
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